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芥川龍之介「地獄変」
改編 蜘蛛の糸・地獄変 (角川文庫)改編 蜘蛛の糸・地獄変 (角川文庫)
(1989/04)
芥川 龍之介

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「見たものでなければ描けませぬ」
横柄で高慢な高名の絵師・良秀は、大殿様に依頼された地獄の屏風絵に異常な執念を燃やす。
火にまかれて悶え死ぬ女が見たい、と願い出た良秀に大殿様が遣わしたのは、良秀のかわいがっていた一人娘だった…


お、お久しぶりです…。
全然更新してなくてすみません、なんか最近忙しくて…というより精神的ゆとりがなかったというか…。
その間にもコメントや拍手くれた方、本当にありがとうございました^^

とにかくまた更新再開していきたいと思います。

今日は前々から予告してた「地獄変」感想まとめようと思います。


「地獄変」読んでまず思ったのが、良秀が、天才画家のレオナルド・ダ・ヴィンチに似ているな、てことでした。
彼は人物をより性格に描くため死体を解剖して構造を研究していたそうな。
絵を書くためにリアルを求める、さらに言うとそのためならなんでもやる研究意欲、執念は天才ならではなのかな、と。

あれ、でも芥川もしかしてダ・ヴィンチ モデルにしてたとか…!?
そ、そんなことない大丈夫、原典良秀も研究してるぞおちつけ私…。

とにかく、良秀は天才だからこそリアルを求め、天才ゆえに芸術家として生きざるを得なかったから最後の悲劇が起きたのだと思う。

良秀は自分の願い通り焼き殺される女――娘を見て、知らず車の方へ駆け寄ろうとし、恐れと悲しみと驚き 様々な感情が去来していた“親”または“人”の良秀は、
いつの間にかうれしそうな輝きを満面に浮かべた天才“芸術家”となり、悲しみや助けたいといった人の情を忘れ、恍惚とその景色を眺めている。
それは“芸術家”としていつも絵を描くときの暗い感情で見ていたにすぎなかったのだと思う。

だからこそ、絵を描き上げ、“芸術家”として役目を終えた良秀は自殺してしまう。
それは“人”としての感情を取り戻し、恐れや悲しみに耐えられなくなった末路ではないか。
つまり、ここで人間としと死んだのだと思います。


…と、一段落ついたところで、ちょっと原典・宇治拾遺物語「絵仏師良秀」との関連も書こうと思います。

原典…と言ってもほとんど芥川のオリジナルなんですけど、原典ネタもちゃんとあって、
「先年大火事がございました時に、炎熱地獄の猛火にまがう火の手を、眼のあたりに眺めました。『よじり不動』の火焔を描きましたのも、実はあの火事に遇ったからでございまする。」て良秀のセリフが。
つまり原典より「地獄変」は後、という設定らしいです。

原典とは違う点ばかりですが、登場人物としてその中でも異質なのは大殿様と「良秀」と名づけられた猿。

大殿様は好きな女――良秀の娘が思うようにならないから、自分のものにならないなら死んでしまえ!…というか、好きな女をどうにかしてしまいたい、ていう暗い欲望が芽生えてしまう恋の恐ろしさの権化というか…要するに変態だったのかと…。←

車焼いて最後の最後に青ざめて正気に戻ってやばい…みたいになってたけど…個人的に同情の予知もないです。

猿は真面目に書く。←
娘にかわいがられてた猿の「良秀」は娘が焼かれている車に飛び入って、娘と死を共にする。
猿はもしかしたらその場で“芸術家”になってしまう良秀の“人”としての心の象徴なのかもしれない。


また良秀の話に戻りますが、原典の良秀は妻娘に頓着しないで一身に家焼けるのを見てるだけの一方、「地獄変」の良秀は迷う。
こういうとこからも芥川は“人”として生きるのか“芸術家”として生きるのか問題提起をしている。

芥川の遺作で「歯車」という短編があります。
そこでは芥川が「地獄変」を…というか「地獄変」の自ら創作した良秀を嫌っている描写があります。
そこを簡単に要約すると、

ナポレオンの絵を見てナポレオンが学生だった頃地理のノート最後に「セエント・ヘレナ、小さい島」と書いてあったのを思いだす。
それから芥川自身の作品を考え出して思い出したのが、
「侏儒の言葉」の中のアフォリズム「人生は地獄よりも地獄的である」という言葉と、「地獄変」の主人公、良秀という画家の運命だった。


という部分。
セントヘレナ島とはナポレオンの流刑地で死去した場所。
「セエント・ヘレナ、小さい島」というメモはナポレオン自身を知らず予言していたかのようにも思える。

だから、芥川も、自身の作品に彼自身を予言するものだったかもしれないと感じてさせるものがあった、ということだ。

その予言の1つとして思いついたのが、「地獄変」の良秀。

つまり彼も“人”として生きるのか“芸術家”として生きるのか悩んでいたからこそ生まれたのが良秀なのではないかと思った。


久々の更新に長々gdgd続けてしまった…長文すみませんm(__)m
感想・意見・反論などありましたらご意見いただけるとうれしいです。

最後にこんな駄文に最後までおつきあいくださり、ありがとうございました!


以上。
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芥川龍之介 『猿蟹合戦』
蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)
(1968/11)
芥川 龍之介

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青空文庫より『猿蟹合戦』
昔、芥川の『桃太郎』を紹介しましたが、今回は『猿蟹合戦』…また昔話シリーズですw
なんとこれ、たった4ページしかないんです( д)


本書に載っている吉田精一さんの解説には一言
「『猿蟹合戦』は古来から伝わる伝説的童話のパロディーであり、気の利いた社会風刺になっているが、しょせんは気軽な戯作である。」

…なんかそれだけはヒドイ気がするから私は真面目に考えよう。


蟹、臼、蜂、卵が猿を仕留めた“猿蟹合戦”の後の話を描いたパロディ。
(ちなみにメンバーの1つとしては栗が一般的ですが、卵が囲炉裏から爆発して飛び出すことになっている説話もあるそうな。てことで今回は卵。)

彼らは見事猿を討ち取りめでたしめでたし。
で、本当に終わったのか?

否。主犯蟹は死刑になり、臼、蜂、卵の共犯は無期懲役の宣告を受けてしまったのである!

というのが話の冒頭。

なぜ蟹たちは捕まらねばならなかったのか?
それは本文にしっかり理由が書かれている。


蟹は握り飯を柿と交換した。が、猿は熟柿を与えず、青柿ばかり与えたのみか、蟹に傷害を加えるように、さんざんその柿を投げつけたと云う。しかし蟹は猿との間に、一通の証書も取り換わしていない。よし又それは不問に附しても、握り飯と柿と交換したと云い、熟柿とは特に断っていない。最後に青柿を投げつけられたと云うのも、猿に悪意があったかどうか、その辺の証拠は不十分である。
(本文より抜粋、一部変更。)



た、確かに…
司法的に事件を見るとこうなるのか…!
猿も親蟹を傷害(または殺害)したわけだから、罪に問われるのは必須。
ただそれを司法にかけず自ら仇を討ってしまったからには、当然蟹も殺人罪を犯したという結果になってしまう…
黙って訴えりゃよかったのに。

まぁこいつらの世界に裁判もなにもあるか!と言ってしまえばおしまいなんですが…w


江戸時代には美談とされた仇討ちは1873年の復讐禁止令を境に時代遅れなものになっていた。
つまり蟹の行動も明治以降にしてみればナンセンスだったのだ。

そのナンセンスな行動に伴う世論の部分は当時の風潮が伺えておもしろい。
流行の危険思想、倫理学、社会主義、仏教徒、などなどたくさんの見方から蟹の行動を批判している。
一部例外がいても誰も気にとめる者などいないのが世の常である。

それから批判にさらされた蟹の家庭のありさまを語るところが世論・世間の怖さをも感じさせる。



物語の最後の言葉
「君たちも大抵蟹なんですよ」

これは結局何が言いたいのか?

人によると思いますが、私には
「皆一時の感情でいらぬことをして余計な結果を招くんですよ」
に聞こえてならない…
思い当たる節がありすぎる…!


音にきく“猿蟹合戦”
我らはこの有名な昔話の裏に潜む悲劇を教訓にしていかねばならない…


なーんてねw



以上感想でした!


芥川龍之介『桃太郎』2
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芥川龍之介『桃太郎』1へ

『桃太郎』1の続きです
此奴について真剣に語っております ←


前回語ったように考えると、芥川の言う『桃太郎』の方が現実味があるような気がします


ただ、『桃太郎』はあくまで“童話”です
何が真実で何が嘘かなんてありませんし、現在の桃太郎が長い歴史の中で最終的に残ったに過ぎません

では、誰もがわかる『桃太郎』で芥川は何を描きたかったのか

「勝てば官軍」という言葉があります
(私はここまでしか知らなかったのですが、「負ければ賊軍」と繋がるそうです)

意味は、
「戦いは、道理に合わなくても勝てば正義で、道理に合っていなくても負ければ不正なものとされること」(広辞苑より)

日本中で正義の象徴のように描かれる桃太郎。
実際はとんでもないやつでも、勝てば“英雄”になれる

逆に実はとてもいい奴だったのかもしれない鬼。
しかし片方が英雄になってしまえば、片方は倒された“悪者”にしかなりえない…


こんな「世の中間違ってるよ!」と言いたくなる事象が現実にあるんだから泣けてきます…




個人的にこれに当てはまるんじゃないかな、と思うのが源平合戦の1つ、「一ノ谷の戦い」

当時は
「自分は○○からきた△△、いざ尋常に勝負勝負~!」
みたいな感じで名乗りをあげてから戦うのがルールだったのに突然山から奇襲攻撃をした義経。

ルール違反したのに、この奇襲攻撃が容認されてんのはどうかと思います

(と言ってもこの時代に詳しい訳でもないので、もしかしたらルールを満たしているのかもしれませんが…
その時は何癖つけてすみません、義経さん…)



話が反れました(-_-;)
桃太郎だった、桃太郎

「勝てば官軍、負ければ賊軍」
その不条理さ、勝者のエゴイズムを、芥川は皆が知っている『桃太郎』で描きたかった、世に知らしめたかったのではないかと私は思います


パッと見、コメディなのですが(笑)


いつの間にか読書感想文出来そうな長さになってたぜ…
でもこれ、実は読書感想文向きな気がします。

短い、おもしろい、なのに奥深い、さらに芥川。
……完璧じゃないですか( ̄□ ̄;)

と、とにかく、オススメです! ←

以上、芥川龍之介『桃太郎』、完結編でしたっ


テーマ : 紹介したい本
ジャンル : 本・雑誌

芥川龍之介 『桃太郎』 1
初回は“文豪”芥川龍之介の作品にしてみました♪

“日本文学”とか“文豪”などと言われると『堅苦しくて難しい』と思いがちではないでしょうか?
(少なくとも私はそうでした…orz)

そんな偏見を変えてくれたのがこの『桃太郎』です!
しかもおもしろいだけでなくいろいろ考えさせられるという…


突然ですが、鬼は悪者、とされています
豆まき、やりますよね?

しかかし芥川の桃太郎はこんな考えを根底から覆します

いわく、「鬼は本当に悪いやつなのか!!」

『瘤取りじいさん』に出てくる鬼は踊り狂ってるし、『一寸法師』も姫に一目ぼれ
茨城童子も羅生門にちょいちょい顔だすだけだし、酒顛童子も基本ただの酒飲みである
芥川が言うように一概に無害とは言えないが基本やってることは人と変わらない気がする。。。


でもって、じゃあ鬼退治に行った桃太郎はなんなのか!?

実際の童話では「鬼ヶ島の鬼が人々を苦しめている」と聞き鬼退治に乗り出します
…っておまえは被害にあってないのか桃太郎!!

でもって鬼退治に犬・猿・雉をお供につけ鬼退治へ
鬼を制圧しお宝をかかえ帰郷。
そして桃太郎は裕福になって幸せに暮らしましたとさ。おしまい。

ぇ、結局、金儲けしただけでは!?


なんとなく鬼に感情移入しすぎている感もありますが、そう思ってみると芥川の桃太郎の方が筋が通ってる気がします…


芥川龍之介『桃太郎』2へ







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塩枝

Author:塩枝
読書、音楽、二次元 を好む気まぐれ女子大生です

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主に読書感想文を中心に備忘録載せています.つたない文章ですが読んでいただけると嬉しいです^^
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