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「更級日記」より『源氏の五十余巻』
明日はテスト現国だけなのでもはや勉強する気が起きないです…。
もうNO☆勉(←)で挑もうかと…。
なので明後日の古典テストのために訳を確認のついでにブログにあげようかと。
役に立つかはわからないけどね!←

てことで、
出典は『更級日記』
1060年頃成立。
13歳で上総から上京した作者が、少女時代の物語への憧れ、宮仕え、結婚など、一生の体験を晩年に回想してまとめている。

作者は菅原孝標女。
『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母の姪にあたります。
また『夜半の寝覚め』『浜松中納言物語』などの物語の作者とも伝えられているとか。


では、本文現代語訳↓


(乳母など親しい人の死が続き)ふさぎこんでいたのを、心を慰めようと気づかって、母が物語を探して私にお見せくださると、本当に自然と気がまぎれていった。

「源治物語」の紫の巻(=若紫の巻。源氏が愛してる義母にそっくりな幼女の紫の上を見つけて、果ては誘拐までしちゃう話。)を読んで、続きを見たいと思ったが、人に相談することもできない。
誰もまだ都に慣れない頃であるので見つけ出すこともできない。
とてもじれったく、見たくてたまらなく思われる気持ちのままに、この源氏物語を一巻から始めて全部お見せください!と心の中で祈る。

母が太秦の広隆寺に一定期間篭って祈るときにも、(母に)他のことは祈らないで、このことを(仏様に)申しあげて(もらって)、母が寺から出たらこの物語を最後まで見たいと思うけど、(やはり)読めない。

とても残念で嘆き悲しんでいると、叔母が田舎から上京してきて、そこへ母が私を連れて行ったところ、
「とてもかわいらしく成長したことだわ。」
などと言って、愛おしがり、めずらしがって、私が帰るときに、
「何を差し上げましょうか。実用的な物はよくないでしょえ。見たがっているというものを差し上げましょう。」
と言って、源氏の五十余巻を櫃に入れたままで、伊勢物語・とほぎみ・せりかは・しらら・あさうづ などの物語も袋いっぱいに入れて持ち帰るときの私の心のうれしさは、天にも昇るようなうれしさだったなあ。

胸をどきどきさせて、ほんの少し見ては、意味もわからずじれったく思い、源氏物語を一巻からはじめて、他の人にも会わず、几帳の中でちょっと横になって、櫃から源氏物語を引き出して見る心地は、后の位も、これに比べたら何でもない。

昼は一日中、夜は目が覚めている間中、灯を身近にともして、この物語を読むより他のことがない。なので自然に文字を見ないでも物語が思い浮かぶのをすばらしいと思っていると、
夢に、とても高潔に見える僧で、黄色の布地の袈裟を着ている人が来て、
「法華経の五巻をはやく習いなさい。」
と言った夢をみたが、他の人にもこの夢のことは言わず、習おうともしない。

物語のことだけを心に思いつめて、
私は今はまだ美しくはないのだ。
年ごろになったら、容貌もこの上なく美しく、髪の毛もきっととても長くなるだろう。
光源治に愛された夕顔や、宇治の大将(=薫)の愛した浮舟の女御のようになりたいなあ、と思ったことは、(今思うと)まずとてもたわいなく、呆れたことだった。




1000年前にも厨二病は存在したんだ…!と友人たちと深く語りあいました。←

源氏物語しか頭になくなって、ひきこもり万歳!と読書にふけり、「勉強しろ!」て言われても完璧無視して、セリフをなぜか覚えて、私も大人になったらあのキャラみたいに素敵になれるに違いないっ☆
…てなってた黒歴史を回想して、ありえねえ、て恥ずかしく思う…。

「源氏物語」のところを自分の好きなものに変換すると誰もがみな1度は経験したようなことが1つでもあるかと(笑)
私、心あたりありすぎて( д)


とにかく、テストがんばるぞ、たぶん(`・ω・´)←


以上。
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「十訓抄」 七ノ二十八より
学校の練習問題で読んでおもしろくてハマりましたw
どうもネット検索かけても正確な呼び名みつからないので、『民部卿顕頼の侍』て勝手に名前つけておきます←


出展「十訓抄」
鎌倉時代成立の説話集。
作者未詳。
六波羅二臈左衛門入道(らくはらじろうざえもん)説が有力らしい。
10の項目を立てて、280余りの教訓的な説話をおさめて年少者を導く書となっています。

てことで、現代語訳↓


昔、民部卿の顕頼のもとに、ある年かさが高いなま公達(=未熟な貴族役人)が近衛の少将を目指していられて、顕頼の侍に
「近衛の少将になりたいので、帝に奏上してもらえないでしょうか?」
と顕頼への伝言を頼んだ。

侍は顕頼の元へ行き、伝言を伝えると顕頼は
「あの人は今はもう相当歳がいってるはずだ。なんで今さら近衛の少将なんかになりたがるんだか。とっとと出家して、世のすみっこの方にいればいいものを…」
とひとり言をいいつつ、

「『子細承りました。なにか奏上する案件があるときについでに奏上しておきます。最近体の調子が悪くてなかなか会いにいけなくて…困ったものです。』と伝えてきなさい。」

そして侍はなま公達のところへ行き、
「顕頼様に伝えてきなさい、と言われました。
『あの人は今はもう相当歳がいってるはずだ。なんで今さら近衛の少将なんかになりたがるんだか。とっとと出家して、世のすみっこの方にいればいいものを…
しかしながら子細承りました。なにか奏上する案件があるときについでに奏上しておきます。』とのことです」

するとそのなま公達は
「その通りでございます…。
自分でもわかってはいるのですが、前世からの因縁か、近衛の少将になることはさけられないようなことのように思い、気になってしかたないないのです。
兼ねてからの願いをとげた後はすぐ出家して、篭ってしまおうと思っています。顕頼様がはっきりおっしゃってくださり、さらに兼ねてからの願いを叶えたくなりました。」

と言ったのをそのまま侍はまた顕頼に報告しに行った。
顕頼は手をぱん、と叩いて、
「おまえ、なんて言ったんだ!」
と言うと侍は
「かくかくしかじか、あなたのおっしゃった通りに」と言うのには、呆れて物が言えなかった。

顕頼は侍に
「どのような国王、大臣でも、身内に愚かな愚痴をこぼすことはあります。それをこの不覚人、ことごとく全て申し上げた。呆れたことだと申し上げても、言葉を尽くせないことです。すぐに帝のもとに参上して、近衛の少将の件を奏上してきます」
と公達に伝えさせた。

その後、なま公達は近衛の少将におなりになって、本当に公達がおっしゃったように出家した。

昔の人の言うことに、
『人を使うことは、工が木を扱うのと同じようなことだ』
というのがある。
「彼はこのことに堪能だ。この人はこのことに使える。」
と見極めて、その人の得意不得意を知った上で使うのである。

だとすると、民部卿顕頼は「えせ工」とでもおなりになるのだろうか。
申し次ぎすらできない侍なんか使っていたのだから。



以上。
『宇治拾遺物語』より「絵仏師良秀」
「地獄変」の感想書くときに使いたかったので、訳してみました。
自分訳なので若干まちがっているところがあるかもですが…まあだいたいあってるだろたぶん。←


<訳>

絵仏師良秀の隣の家が火事になり、良秀の家に火が迫ってきたので良秀は大路に避難した。家の中に残っていることにも関心を持たないで、自分が逃げられたのをいいことに燃え盛る家を観察しはじめた。

「嘆かわしいものだ」
と人々がやってくるが特に騒ぐ様子もない。

「どうしてですか?」
と他の人が聞くと、良秀は家が焼けてるのを見て、ちょっとうなずいて、時々笑って

「あぁ、大変なもうけものをしたことよ。長年へたに書いていたのだなぁ」

と言っていると、来た者は

「これはどうしたことか、このように立っていらっしゃる。嘆かわしいものだなあ。怪しげな霊でもとりつきなさったか。」

と言うと、

「どうして怪しげな霊がとりつくはずがあろうか。長年、不動明王の後ろの炎をへたに書いてたんだよ。今見れば、このように燃えるんだなぁ、とわかった。これこそもうけものよ。
この道を専門として世にあるつもりなら、せめて仏だけでもうまく書いてさしあげれば、百千の家から依頼も来るだろう。
おまえさんたち、これといった才能もお持ち会わせにならないので、物事を惜しみなさるのだ。」

と言って、嘲笑って立っていた。

そののち、良秀のよぢり不動(炎の様子をねじったように描いた不動尊)という絵を、今でも人々は賛美しあっている。



なるべく良秀が悪いじいさんっぽい感じになるよう訳してみました^^

よし、次こそ芥川の「地獄変」書きます!

以上。

テーマ : 古文
ジャンル : 本・雑誌

鴨長明『方丈記』より 序文「ゆく川の流れ」
ちょっと今回古典の成績悪かった…ので次のテストに備えるため、
出典と訳とポイントと私の興味で調べたものを押さえていく感じで予習!
していこうと思います。
逆に今までしてなかったのかって?
…もちろんじゃないですか。←


では前置きはこのぐらいにして、本題。


出典は「方丈記」。
「枕草紙」「徒然草」と並ぶ三大随筆の一つ

鎌倉時代の1212年に成立。
和文体と漢文体が混存する和漢混交文で書かれています。

作者は鴨長明。
鎌倉時代の歌人・随筆家。
下鴨神社の神官の家に生まれ、歌人として後鳥羽上皇に認められ和歌所寄人となるが、1204年に出家し日野の外山に隠居しました。

ちなみに、「方丈記」の名は長明がその日野山に一丈(約3m)四方の庵室を造り住んだことによるそうな。

他、代表作に
歌論集「無名抄」、説話集「発心集」などがあります。

内容としては安元~元歴年間(1177~1185)の大火、大風、飢饉、地震などの災厄を回想し、人生の無常を嘆きつつ

では現代語訳。
ちょっと意訳気味なところもありますが、あしからず。

<訳>

流れていく川の流れは絶えることはないが、それでいてずっと同じ元の水ではない。
流れのよどみに浮かぶ水の泡は一方では消え、他方ではあらわれて、そのままの姿で長くとどまっている例はない。

世の中にいる人も住居もまたこのようなものだ。

美しく立派な都の中に屋根を連ねて立ち並び、家が競い合うようにびっしりと立ち並ぶ、身分の高い人や低い人の住まいは、世代を経てもなくならないものだが、
これが本当のことかと調べてみると、昔から残っている家は珍しいものだ。

あるものは去年焼けてしまって今年作ったものだ。
あるものは大きい家が小さい家となった。

住む人もこれらと同じだ。
場所も変わらないし、人も多いけれど、昔のことを見た(経験した)人は二、三十人の中にたった一人二人である。

朝に死に、また一方では夕方に生まれるという、人の世の常の姿は、ちょうど(消えては浮かぶ)水の泡に似ていることよ。

はてさて、この世に生まれ、そして死ぬ人というものはどこから来てどこへ去るのか。
また、はてさて、仮の住まいで、誰のために心を悩まし、何によって表情を喜ばせるのか。

その、主人と住居の生滅変化の速やかさを争うかのように滅び去っていく様子は、
(儚く落ちて消えてしまう)朝顔の露と変わらない。

あるものは露が落ちても花は残る。
しかし、残ると言っても朝には枯れてしまう。

あるものは花がしぼんで、露はそのまま消えないでいる。
しかし、消えないと言っても夕方を待つことはないのだ。(=夕方には消えてしまうのだ。)




所々の追句表現が世の無常をより訴える効果を出しているように思います。

また、「あるものは去年焼けてしまい今年作ったものだ」
から、これを書いた当時、安元の大火から約1年以上経っているようです。



これ予習なんで、授業で訂正箇所が見つかりしだい直して行きたいと思います(^^;

完全版になったら文末に《完全版》って載せときます
「宇治拾遺物語」 より 『保昌と袴垂』
明け方に言ったやつ、早速作りました。

現代語訳、というか意訳というか…。
訳をはしょったりしてるので少し違うところもあると思いますが、あしからず。


出展は宇治拾遺物語。作者未詳。
十三世紀始め、鎌倉時代の承久の乱(1221)後まもなく成立とされています。
庶民性・平俗性が特徴。

物語に出てくる藤原保昌は和泉式部の二番目の夫。

袴垂は藤原保輔のこととも伝えられてますが、「今昔物語集」「宇治拾遺物語」には袴垂と保輔の名が別々に登場していて、同一人物なのか、二人の別人が合体し一人の人物ということになったのかは不明ですが、「袴垂保輔」の名は定着しています。

ちなみに「宇治拾遺物語」では保輔は保昌の弟としているようで、保輔が袴垂と同一人物だと考えるとなかなかおもしろいことになるので、個人的には別人だと思います。



<訳>

昔、袴垂というすごい泥棒の首領がいた。

十月頃に着物が欲しくなったので誰かから奪おうと思って、あちこち見てたら、真夜中くらいに着物をたくさん着た、狩衣姿の笛を吹いている男を見つけた。

超ゆっくり歩いてたので、
「あぁ、コイツは俺に着物をあげようと出てきたに違いあるめえ」
と思って、襲って着物を脱がそうと思ったが、
不思議なことに笛男が何となく気味悪く思えたので、しばらく後をつけてみるが、男は「後をつけられてる!」と思う様子はない。

いっそう笛を吹いて進んで行くので、試しに足音をたてて走り寄ってみたら、その人が笛を吹きながら振り返った様子はどうも襲いかかれそうになかったので、すばやく逃げた。


袴垂はこんなかんじであれこれやってみるが、笛男は少しも取り乱す様子はない。
珍しい人だなぁ、と思ってしばらく一緒についていく。

そうかといってこのままでいられようか、いや、いらんねぇだろ。と思って刀を抜いて走りかかった途端、男は笛を吹くのをやめて振り返り、「お前は何者だ。」と問うてきた。
すると、正気でいらんなくなって我知らず自然にひざまづいてしまった。

もう一度、
「いったいどういう者だ。」
と聞いて来ると、どうも今は逃げてもまさか相手は逃がさないだろう、と自然に思ったので、

「追い剥ぎでございやす。」と言うと

「何者か。」と問うので、

「世間じゃ袴垂と言われておりやす。」と答えると

「そういう者がいると聞いてるぞ。見るからに物騒でとんでもない奴だなぁ」と言って

「一緒についてきなさい。」
とだけ言ってまた同じように笛を吹いていく。
逃げても逃げられないだろう、と思ったんで鬼に魂を奪われたような有り様で一緒に行くうちに家にたどり着いた。


どこだろう、と思ったら摂津前司保昌という人の屋敷だった。
その人は袴垂を家の中へ招き入れて、綿の厚い衣服を一つお与えになって、
「着物が必要な時は来ていいなさい。器量(力量)もわからない様な人に襲いかかってお前がケガするなよ。」
と言ったことに、驚き呆れ、不気味で恐ろしかった。

立派な人だったよ…。と袴垂は捕られられた後、語ったということだ。






…こんなかんじかな。

ちょっと袴垂を「巷説百物語」の又一っぽい小悪党口調にしてみたw


以上、おつきあいありがとうございました^^


プロフィール

塩枝

Author:塩枝
読書、音楽、二次元 を好む気まぐれ女子大生です

詳しい好みはこちら

主に読書感想文を中心に備忘録載せています.つたない文章ですが読んでいただけると嬉しいです^^
ネタバレ苦手な方は注意してください。
気軽に声かけてください! 
相互リンク、ブロともも大歓迎です♪

よろしくお願いしますm(__)m
 

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