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『城の崎にて』 志賀直哉
小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)
(2005/04)
志賀 直哉

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作者自らの体験がもとになった作品で、山手線にひかれ死にかけた「自分」が、その後の城崎温泉で療養に出かけた際、蜂の死体、もがく鼠、偶然死んだいもりを見て、生き延びた「自分」を振り返る


国語の時間、教科書に載っていたのを見つけて読んでいた。
中2のとき宿題の関係上読んで感想も書いたのだが、今読むとちょっと違う印象を受けたように思う。



まず「自分」は物語の初めから「自分は死に対する親しみが起こっていた」と語る。


そして「蜂の死体」
ここで、せわしなく働く“生きた”蜂と、自ら動くことのない静かで寂しい“死んだ”蜂との対比が出る。

彼はその静けさに親しみを持つ。


次に「もがく鼠」
長い串を刺され川へ落とされた鼠が一生懸命泳いで助かろうとしているのを見る。

死ぬに決まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回ってる様子に、死の静けさの前の苦しみを恐ろしいと思い、
またそれを自分に当てはめ、本当の姿だと思う。
そしてその努力を仕方のないことだと認め受け入れる。


最後に「偶然死んだいもり」

殺す気のなかったいもりを殺してしまう。
いもりをかわいそうに思うと同時に、生き物の寂しさを感じる。

自分は偶然に死なず、いもりは偶然に死んだ。
死は偶然にやって来る。
その生き物の偶然を寂しく思う。


そしてまた彼は思う。
静けさも苦しみも偶然もしょうがない。
生きているのも死んでいるのも両極ではなく、いつやって来るのかわからないものだ。

全てはただ、「あるがまま」にいるだけである…




死は誰しもいつかやって来るものだ。
早いか遅いかなど所詮偶然の違いに過ぎない。
ただその無常を受け入れるしかないのだと志賀直哉は語る。

そしてそれをただ淡々と語ることにより、その死のみじかさ、現実感を醸し出しているように思った。



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